渋谷で野宿者支援の共同炊事(炊き出し)に参加しました☆

渋谷で、のじれんが実施している共同炊事(炊き出し)に初めて参加しました。

16時から区役所仮庁舎裏の美竹公園で、洗いもんしたり物運んだりご飯よそったりで4時間ちょっと、200人分くらいのご飯とシチューを作って食べました。大変おいしうございました。これだけの人数分ともなると、鍋も釜も一抱えくらいの大きさで、野菜も米も洗いもんも見たことがないくらいの量です。

ここのように、野宿者と支援者が一緒に炊事するところは珍しいのだそうです。

『万引き家族』

下高井戸シネマで10月21日に見ました。TOEICの日付を一週間違えたので、ヤケクソで『カメラを止めるな』、『グッバイゴダール』と三本立てにしました。他の二本も楽しめたのですが、『万引き家族』は群を抜いていた。ケタが違うレベルの傑作です。

犯罪を紐帯とするアウトサイダーたちの疑似家族という設定からして、ケン・ローチ的に、オルタナティブな倫理をバーンと打ち出すスタイルかと思わせるのですが、作品の主眼は違うところにあります。主眼は、危機の予感の中で、登場人物各々がもつ善悪の基準や、愛のとらえ方が揺り動かされること。それでも彼らが新しい生活へ歩を進めるための折り合いを、覚悟を持って選び取ること。

きわめて奇抜な状況を、きわめて繊細に、上品に描写していて、作品の質という点でも完璧です。樹木希林の遺作であるに足る映画だと思います。

カルロ・レーヴィ『キリストはエボリで止まった』(訳書2016年, 岩波文庫)

「暗黒の南イタリア農村」みたいな話かなあと思っていて、それ自体間違ってはいないのだけど、むしろ貧しく悲惨な農村に魅惑される過程を描いた本でした。

キリストはエボリで止まった (岩波文庫)

キリストはエボリで止まった (岩波文庫)

一応は小説の形を取りながら、実質的にはルポルタージュ民族誌に近い読み物です。

『雪』、『オイディプス王』、『エボリ』と、立て続けに貴種流離譚を読んでいます。

『クレアのカメラ』

下高井戸シネマで『クレアのカメラ』を見ました。エリック・ロメールの作品と勘違いしていたけど、本当は韓国のホン・サンス監督作品でした。エリック・ロメールはもう亡くなっていました。

カンヌで、韓国人とフランス人が英語でしゃべる映画です。会話の合間に何をするでもない沈黙が挟まれて、カット割りが異常に長くて、変わった映画でした。

大相撲2018年九月場所中日

本場所の土俵で生きているのは、対戦するふたりの力士だけであって、その他は行司も呼び出しも審判も観客も、書き割りみたいなもんだ。

● 3-1豊昇龍(左上手投げ)白虎4-0 ○

右四つ。豊昇龍右内掛けに行ったところを白虎左上手を引きつけて寄る。豊昇龍右下手投げで逆転をはかり、軍配豊昇龍だが、豊昇龍の左手が付くのが早く差し違え。

● 3-1一木(左突き落とし)栃清龍4-0 ○

一木突っ張りから宗を押して出るところ、栃清龍左に開いて突き落とし。

● 1-3龍勢旺(右腕捻り)蘇2-2 ○

蘇もぐるが龍勢旺突き放す。蘇なおも左前廻しを引いて、右に捻り落とした。

● 3-1里山(押し出し)野上4-0 ○

野上が押すのに、里山左右おっつけて潜り込もうとするが果たせず、野上押し出し。詮方なし。

● 3-1富栄(左突き落とし)琴太豪4-0 ○

琴太豪いきなり左上手狙い、富栄飛び込むが琴太豪左、右、左といなして突き落とし。

● 1-3慶天海(送り出し)肥後ノ城2-2 ○

肥後ノ城右からいなしたので慶天海左刺さった。頭をわきのしたに入れて出たが、肥後ノ城右上手出し投げから横について送り出し。

○ 3-2大成道(押し出し)炎鵬4-4 ●

炎鵬左で足取りに行くが、大成道がアウトボックスして押し出し。

● 5-3照強(右小手投げ)豪風4-4 ○

豪風左に変わる。照強左を深く差すが豪風も左差し手を返す。豪風右首投げに乗じて照強が後ろにつこうとするが、豪風強引に右小手投げ。豪風のほうが大きいので変な感じ。

○ 5-3明生(右上手投げ)大奄美5-3 ●

奄美対決。もみ合って左四つ。大奄美やおら左下手投げを打つが、明生右上手投げが勝った。

● 3-5琴勇輝(徳利投げ)安美錦5-3 ○

安美錦ゆっくり手を下ろすが、琴勇輝が手をつかず安美錦が嫌う。安美錦今度はちょん立ち、右に変わって回り込んで、きっちり俵の上で叩き込み。と思ったら、決まり手徳利投げだった。

● 4-4佐田の海(押し出し)嘉風6-2 ○

佐田の海右巻き替えようとするところ、嘉風走って押し出し。速いねえ。

● 7-1北勝富士(寄り切り)竜電7-1 ○

北勝富士右喉輪で離れようとするが竜電下がらない。竜電左差し、右も差して、かいなをつきつけて寄り切り。竜電良い相撲だけど、北勝富士ちょっと消極的な取り口だった気がする。

○ 5-3妙義龍(押し出し)栃煌山3-5 ●

妙義龍が左右おっつけで栃煌山の差し身を許さず押し出し。

● 1-7遠藤(送り出し)千代大龍2-6 ○

千代大龍、両手突きからはたいて崩して送り出し。

● 6-2御嶽海(押し出し)勢1-7 ○

突っ張り合い、勢が終始下から跳ね上げて、御嶽海叩いたところを付け入って押し出し。

○ 7-1豪栄道(寄り切り)栃ノ心5-3 ●

ここから上位のつぶしあい。豪栄道右おっつけから差して走った。

○ 3-5正代(引き落とし)高安7-1 ●

たがいにぶちかまし、高安の威力が優って前に出る。しかし高安ちょっとはたいたところを付け入って左差し、右おっつけ。正代右巻き替えに出たところ高安前に出るが、正代右に開いて引き落とし。

○ 8-0鶴竜(寄り切り)逸ノ城2-6 ●

鶴竜右差して左前廻し。逸ノ城は右から起こそうとするが鶴竜崩れず、左のおっつけも効かない。鶴竜引きつけて寄り切り。

● 6-2稀勢の里(押し出し)玉鷲1-7 ○

稀勢の里一度突っかける。玉鷲頭で当たって右喉輪、左ハズ押しで起こして押し出し。稀勢は良い時に比べると出足がないのかな。

● 0-6-2豊山(左上手投げ)白鵬8-0 ○

白鵬左張り右差しと見せて左上手を取るやいなや弾いて上手投げ。すごい早業。

大相撲2018年九月場所7日目

○ 5-1竜電(寄り切り)千代翔馬3-3 ●

突っ張り合いから左四つ、竜電右上手。引きつけて左差し手を返して寄り切り。

● 4-2錦木(引き落とし)大翔丸2-4 ○

翔丸左で突き起こしたが、錦木下がらず前に出る、ところを大翔丸左にいなして引き落とし。

○ 7-0北勝富士(寄り切り)佐田の海4-3 ●

佐田の海五分の当たりも叩いて呼び込む。さらに左にいなして左上手、しかし上手が深く、北勝富士左も差して寄り切り。

○ 3-4栃煌山(左突き落とし)朝乃山5-2 ●

五分に当たって栃煌山右差し、左もねじ込んで押し込んでおいて、朝乃山右巻き替えるところを突き落とし。

● 4-3妙義龍(寄り倒し)松鳳山4-3 ○

突っ張り合い。妙義龍左差したところを松鳳山右小手投げで降って、出て寄り倒し。

● 2-5阿武咲(叩き込み)阿炎5-2 ○

阿炎の両喉輪を耐えて阿武咲おっつけて出るが、阿炎俵の上で左にくるりと開いて叩き込み。阿武咲良い攻めで惜しかった。

○ 6-1御嶽海(右突き落とし)貴景勝2-5 ●

突っ張り合い、貴景勝左右合わせて四発張るが御嶽海頭を下げて突き手を跳ね上げつづける。御嶽海右おっつけから押し込むと貴景勝左に開いて体勢逆転。貴景勝決めに行ったところ、今度は御嶽海俵の上で右に開いて突き落とし。見ごたえのある一番。

● 2-5逸ノ城(寄り切り)栃ノ心5-2 ○

栃ノ心左踏み込んですぐに左上手前褌。頭を付け、右前廻しも引いて万全寄り切り。

● 0-7玉鷲(叩き込み)高安7-0 ○

高安かち上げからちょっと突っ張って左差し、玉鷲が頭を下げると左に開いて叩き込み。

○ 6-1豪栄道(押し出し)千代大龍1-6 ●

千代大龍ぶちかましから突っ張り、豪栄道左に回り込んで、体勢逆転押し出し。

○ 7-1稀勢の里(寄り切り)千代の国2-5 ●

千代突っ張り、右への回り込み、稀勢の里根気よく付き合って動きを止める。千代右上手、稀勢の里は左差し半身でじっと上から体重をかける。千代下がりながら右上手投げ、稀勢の里合わせて左すくい投げ、投げ勝ったのは千代だが、大きく左足が出た。

● 1-6遠藤(腰砕け)白鵬7-0 ○

当たって白鵬左にいなすと向き直ろうとした遠藤の腰が砕けて尻もち。的を失った白鵬が土俵下に飛び出た。決まり手押し倒しでも良かった気がする。

○ 7-0鶴竜(押し出し)正代2-5 ●

正代胸を出すところに鶴竜突っ張り、突っ張りきって押し出し。

ハンナ・アーレント『全体主義の起源』第三巻「全体主義」(大久保和郎, 大島かおり訳, 訳書2017年)

全体主義の運動・統治に関する論考の最後の分冊。1巻は「反ユダヤ主義」、2巻は「帝国主義」とそれぞれ題されているが、いずれも未読。3巻だけでもかなりたいへんな読書です。

全体主義の具体例として、本書はスターリン時代のソ連ナチス・ドイツを取り上げている。というよりも、これまでに類例のないふたつの体制が、しかしながら相似た形で現れたことについて論考するにあたり、ちょうどよいカテゴリが「全体主義」だった、という感じだと思う。

だいたい次のことが書かれているものと理解したけど、だいぶ粗雑なチェリーピッキングになっているはず。また、アーレント独自の用語法についても捉えきれていないはず。

暴政と全体主義の区別

暴政 *1 においては、被支配者から暴君がその不法な恣意により、恐怖を駆動力として統治を行う。恐怖によって人々は、政治的・公的生活から引きこもらされるが、私的生活までは侵犯されない。 (pp. 314-317)

一方全体主義において、指導者は運動を構成する大衆を代表しており (pp. 43-44) 、その意志は常に正しく、法である。その統治は、生活のすべての局面に浸透するテロルによって駆動される。テロルが最高の形で現れる場である収容所では、人間は政治的・公的生活に加えて私的な生活も剥奪され、差異のない単一の存在となり、最後に消される。

なお、全体主義において、常に正しいとされるのは指導者の「意志」であって、その発言や命令ではない。指導者は外部世界、あるいは運動の周縁に対して平然と嘘をつく。運動の精鋭は、それが嘘であることを知っており、意志がどこにあるかを理解する能力を持っている。 (pp. 139-141)

イデオロギーの役割

全体主義は、それが採用するイデオロギーに新しいものをなに一つ付け加えはしない。一方、不条理で、現実離れしているかのように見えるイデオロギーの世界観を、その組織の中でマジで実現する。虫けらであると宣言されたユダヤ人は虫けらのように殺されたのだし、その後にはポーランド人、いずれはドイツ人もが続くはずだった。現実化されたイデオロギーは、途方もない説得力を発揮する。 (p. 102-104, pp. 302-304)

一方で外部世界は、イデオロギーを単なるお題目とみなして、外交的な嘘(民主主義陣営との共闘であるとか)を現実的な本音とみなした。

論点

次の諸点については折に触れて考えることになると思う。

*1:p. 295の訳注によれば、モンテスキューの区分法における「専制政体」を、アーレントは「暴政」と記述している。

ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン: 悪の陳腐さについての報告』(大久保和郎訳, 訳書2017年)

アイヒマン裁判の報告。アードルフ・アイヒマンナチス親衛隊 (SS) でユダヤ人の移送にあたった。潜伏先のアルゼンチンで拉致され、エルサレムで裁判を受けて死刑判決、同年刑死した。

ここでは、副題の「悪の陳腐さ」について点検する。

巨大な犯罪をなした人間が個人として取るに足らない人間であることは、改めて驚きとするところではない。私たちは、官吏的人物の典型であった東條を知っている。凡庸な君主であった裕仁を知っている。麾下の軍隊を統制する意志と能力を欠いており、したがって虐殺について未必の故意が認められるに過ぎない松井を知っている。

本書がこの副題のもとに述べていることは、ナチが一民族の絶滅という類のない犯罪を公式の政策としたこと、アイヒマンがそれをはっきりと理解して、その主要な一部である職務にあたったこと、にもかかわらず彼自身は凡庸で、正常であった、ということである。アーレントはその凡庸さを報告することで、「類のない巨大な犯罪を行った者は、類のない怪物的な人物に違いない」という決めつけに反駁したのであって、悪が陳腐であったこと自体から、それ以上の何かを引き出そうとはしていない。

本書の大部分は裁判報告だが、その構成は通常の裁判報告と異なる。つまり、まず事件の叙述があって、ついで訴訟、という構成は取っていない。裁かれた犯罪行為が地理的にも時間的にも大規模であることから、そのような構成は不可能だっただろう。本書は、SS官吏としてのアイヒマンの行動をほぼ経時的に記述する中で、法廷での審議についても織り交ぜて述べている。

最後の章である「エピローグ」は、犯罪としてのホロコースト、法廷、個人の罪などについて議論している。

なお、本書が何を書き、何を書かなかったかについては、巻末の「追記」、および『責任と判断』所収の「独裁体制のもとでの個人の責任」で、著者自身が整理している。