『ハッチング ー孵化ー』ほか

休日の月曜日に下高井戸シネマでロベール・ブレッソンの『たぶん悪魔が』、『湖のランスロ』を鑑賞。『たぶん悪魔が』は70年代の左翼青年の話。登場人物も彼らが話していることも把握できず、なんのこっちゃ分からなかった。『湖のランスロ』は円卓の騎士もの。ランスロ(ランスロット)の横恋慕にまつわる話で、こっちは雰囲気好きだった。鮮血の描写は『椿三十郎』のラストみたい。

三本目に『ハッチング ー孵化ー』(原題はHatching)というフィンランドのホラー映画。中学生くらいの女の子が精神的虐待を受けて、蓄積した心の澱で怪物を育ててしまう話。

怪物の存在は明らかに、虐待を原因とする解離もしくはBPDのメタファーとして描かれていると思う。だとすると、その描き方にはだいぶ問題がある。怪物の行動はひたすら猟奇的な殺戮と傷害で、最後には制止が効かず、主人公をのっとってしまう。もちろんこんな展開は、解離・BPDに典型的なものではないはず。虐待のようすが真に迫るだけに、その帰結が安易に処理されているように思えて、後味悪かった。ホラーだから当たり前、といえばそれまでだけど。

主人公の役者は、かなり負担がきつかったんじゃないかと思う。ちゃんとケアされていてほしい。