『The Autobiography of Malcolm X』

マルコムXの自叙伝を読みました。1965年、彼が暗殺されるまでをカバーしています。実際に筆を執ったアレックス・ヘイリーによる、解題とも言うべき長大なエピローグと合わせて、非常にスリリングでむちゃくちゃ面白い本です。

The Autobiography of Malcolm X (English Edition)

The Autobiography of Malcolm X (English Edition)

マルコムXについては、「戦闘的な公民権運動の活動家」くらいの雑な理解しか持っていなかったのですが、だいぶ誤解をしていたことがわかりました。

  • マルコムは、独立した活動家としてではなく、ネイション・オブ・イスラムの幹部として、少なくとも主観的には教団の声を発する役割に徹した。この立場は教団を追放される1964年まで続いた。
  • 公民権以前に人権の獲得が課題である、という立場を取っている。
  • 「戦闘的」であること自体に積極的な意味付けはしていなかったものと理解した。非暴力直接行動を代表するガンジーやM. L. キングについて、基本的には高く評価している。
  • 直接行動を含む行動という点では、むしろその欠如が批判されている。

構成

本書には構成上興味深い点がいくつかあります。

ひとつは、話者であるマルコム自身の立場・思想が、テキストの中で大きく変動していること。執筆が行われた1963年から1965年まで、マルコムは教団からの離反/追放、アフリカ訪問、メッカ巡礼、正統派イスラムの受容、暗殺の危機という、極端な変動を経験しています。したがってテキストには、インタビューが行われた時点ごとのマルコムの思想が反映されています。著者がモザイク状になってるわけです。

もうひとつは、実際に執筆を行ったアレックス・ヘイリーの存在。ヘイリーが集中的なインタビューによって、マルコムに自分自身を語らせたことは、マルコムの人生と思想に無視できない影響を与えています。ヘイリーは執筆を通じ、単なるゴーストライターの枠を超えて、マルコムの親友になっています。にもかかわらず自伝の本文からは、ヘイリーの影が完全に消し去られています。ヘイリー自身の名がクレジットされたエピローグで、彼らの関係と執筆の様子が語られるのと対比すると、テキストはあくまで世界の一部分を選択的に切り抜いたものである、ということが再認識させられます。

女性差別

マルコムの女性に対する差別については、はっきりと不快です。

マルコムは女性についてfoxyという形容を多用し、男性を破滅させる信頼のならない存在として描いています。しかし、複数の女性の人生を破滅させているのは、マルコム自身の方です。

ネイション・オブ・イスラムの指導者イライジャ・ムハンマドによる女性への性加害についても、その対応に大きな問題があります。性加害の事実を知ったマルコムは、まず知らないふりを、ついでイライジャ・ムハンマドを助けようとしました。結局これが教団からの離反の遠因になったということは、教団幹部として性加害に向き合わなかった責任を免除するものではないと思います。