id:sin20xxさんへの応答 (2/2)

この記事は「id:sin20xxさんへの応答 (1/2)」の続きです。具体的には、id:sin20xxさんのブログ記事「id:miyakawa_taku氏からの指摘への返信」への応答です。

id:sin20xxさんの主張の整理

先に、id:sin20xxブログ記事中で展開されている主張を整理します。ただし、本筋から外れると思われるもの、あるいは僕のブックマークコメントに対する誤読にもとづくものについては、わけて後段で扱います。

  1. 安保法案にまつわる議論が本来扱うべきは、「そもそも国防をどうするべきなのか?」という問題だ。
  2. 憲法解釈の変更を行うか、現憲法の改正を行うべきか、という議論は、本来的な問題である(1)に関して決定が行われたあとで、その手段をどうするか、という文脈で行われるべきだ。
  3. 現在行われている議論は、(1)の議論をなおざりにして、(2)ばかりを議論している。これはよくない。

僕の見解

僕の主な見解は次のとおりです。

まず、「(1) 安保法案にまつわる議論が本来扱うべきは、『そもそも国防をどうするべきなのか?』という問題だ」という主張について。

  • 国家の統治機構(例: 国会、自衛隊など)が「そもそも」するべきこと、するべきでないことは、憲法を通じて国民により規定されています。
  • id:sin20xxさんが要求している「そもそも国防をどうするべきなのか?」という議論については、憲法という規範の形をとって、現時点での結論が出ています。つまり、国家は集団的自衛権を行使してはならない*1、ということ。

ついで、「(2) 憲法解釈の変更を行うか、現憲法の改正を行うべきか、という議論は、本来的な問題である(1)に関して決定が行われたあとで、その手段をどうするか、という文脈で行われるべきだ」という主張について。

  • 国家が何をするべきか、という決定は、まずその大枠が、主権あるいは憲法制定権力を持つ国民によって、憲法制定、あるいは改正という形をとって行われます*2。その上で、代表権が付託された国会によって、個別具体的な施策についての決定が、立法という形をとって行われます。
  • 個別具体的な施策を先行させようとするid:sin20xxさんの要請は、話がアベコベです。

個別的な話題

以下、決して細かい話ではありませんが、本筋から外れる話題について。

現状ではおそらく国民の多くはせいぜい「海峡が封鎖された場合」であったり、「尖閣諸島の防衛」というようなケースを例としてこの議論を見ています。
本質的にはこのケースやその行為について防衛手段を持つ事が必要なのか?という点を決定すべきで、その決定について実施する関係上問題があるのか?という点はその後の話です。

まず、「尖閣諸島の防衛」は今回の安保法案には無関係です。日本に対する攻撃を想定したものではないからです。

ついで、政権が法案の論拠として使っている「海峡が封鎖された場合」という想定の現実性については、違憲性についての議論と並行して、実際に国会の内外で議論が行われています。例:

また、立法府における「決定」は、立法という形をとって行われるものです。しかしながら上述の通り、違憲の立法は無効です。

それと同時に「日本は今周辺国ともうまくいっていないし、いろいろな事件も起きていて不安」という事も感じているでしょう。

「周辺国」と日本の関係は、今回の安保法案とは無関係です。(1)周辺事態法において、自衛隊の地理的活動範囲が「周辺」に制約されたところを、地理的制約を取り払うものだから、(2)上述の通り、日本に対する攻撃を想定したものではないから、です。

必要性があるのであれば憲法を改正するというのは国民に認められた権利です。

憲法を改正する権利(憲法制定権力)は、国民に「認められた権利」ではなく、国家や憲法に先行して、国民が本来的に持っている権利です*3

「怪物を野に放つ」という一言がありますが、……。

僕の使った「怪物」という言葉について。これは軍事力にかぎらず、国家そのものの比喩です。憲法や法を通じて抑制的に運用しない限り、国家は制御できない力をもって暴れまわる、という意味で使っています。(いちおうホッブズの「リヴァイアサン」から着想を得ていますが、異質のものです)。

安保法案に関して現政権は、明らかに違憲の法律を押し通すことによって、憲法の制約を無化し、正統性のない力の行使を実現しようとしています。これを「怪物を野に放つ」と比喩しました。

*1:芦部信喜(2011)『憲法』第5版, 岩波書店, p. 60。

*2:芦部(2011), p. 386

*3:芦部(2011), p. 386