日馬富士関の引退に寄せて

横綱日馬富士が、酒席で貴ノ岩を殴り、その責を負って引退しました。引退はしかるべき対処でしょう。 *1 また、九州場所を全休した貴ノ岩の軽快を祈ります。

日馬富士は、ものすごく直接的に胸を衝く相撲を取る人でした。決して大きくない体と、気迫と魂を相手にまっすぐ全部ぶつける人でした。攻勢一辺倒の横綱といえば他には朝青龍ですが、朝青龍の相撲が、生の歓びの横溢する祝祭的な感じを与えたのに対して、日馬富士の相撲は、土俵に命が掛かってるんだ、という戦慄を与える種類のものでした。

横綱昇進前後の、絶好調と絶不調が交互に訪れる不安定な成績は、遊びのない取り口の必然的な帰結だったのでしょう。絶不調の場所で、それでも綱の体面を保つため、星を稼ぐ窮余の策が当たってすぐの左上手投げで、しかしこれが絶品でした。場所によっては勝ち星のほとんどを左上手投げ一本で稼いで、しかもめったに失敗しなかった。そうこうしている内に、出し投げ主体の曲線的な組み立てへと間口を広げて、安定して綱が張れるようになったのは本当に立派だったと思います。

全身に故障を抱えて、千枚通しのような、鋭いってなもんじゃない立ち合いを十五日間続けられなくなった後でも、ここぞの一番では爆発的な相撲を取ってくれました。弟弟子である照ノ富士の初優勝が掛かった白鵬戦、あるいは新横綱稀勢の里との対戦などなど。九度の優勝、三度の全勝という成績も大変なものですが、それだけでは計り知れない印象を残した横綱でした。

妹が大ファンなんですよね。心配になるくらいほっそい安馬の時代から応援していて。当時から負けん気と向こうっ気はすごかったけど、まさか横綱を張るまでになるなんて思いもしなかった。

*1:昔なら許されたが今では、ということですらない。玉錦と同時代の関脇新海は、同様に酒席で同僚を殴った廉で引退しています。