安倍晋三の靖国参拝は侵略を肯定するものであり、国民の信託への裏切りである

安倍晋三靖国神社に参拝して、国内外から批判されて、それに対していつものように「国を守るために戦った先人の冥福を祈って何が悪いのか」と言ってる人達がいる。「何が悪いのか」を整理しなきゃいけないな、と思ったので整理する。

大略、問題は次の2点だ。

  1. 総理大臣が靖国神社に参拝することは、当神社が顕彰するところの対外侵略を正当なものとして肯定することを意味する。
  2. 国家の宗教活動からの分離、および戦争の放棄を規定する憲法にそむくものであり、したがって国民による主権の信託に対する裏切りである。

侵略の正当化について

靖国神社は、近代日本国家の軍事行動に伴う軍人・軍属の死者を、国を守って死んだ「英霊」と位置づけて慰霊し、顕彰する宗教施設である。近代日本国家の軍事行動は、西南戦争など初期の内戦の他は対外侵略であるが、死者を「英霊」と位置づけることによって、靖国神社はこれらの対外侵略を正当なものとして認めている。

とか何とか理屈付けするまでもなく、あるいはその強い傍証として、附属の戦争博物館である遊就館におもむけば、上記のような靖国神社の姿勢は明らかである。日清・日露の部屋では、勇ましい砲声とともに戦勝を誇り、大東亜戦争の間では、悲しげな音楽とともに日本軍人の戦死者の顔写真がいっぱいに展示されている。

このような姿勢は、一個の宗教法人が勝手に振舞っている、という種類のものではない。かつて日本国家の軍・政府の直接の管理下に置かれていた靖国神社は、国家が自らの軍事行動を正当化し、国民を動員する装置として機能した。第二次世界大戦の敗戦後、国家から分離された後も、靖国神社の側ではその姿勢と自己定義を維持した、ということである。

他ならぬその靖国神社に、日本国家の政府の長である総理大臣が参拝するということは、靖国神社によって代表される、対外侵略を正当化する姿勢を、日本国家が再び採用する、ということを意味する。

そのような正当化は認められない。

主権の信託に対する裏切りについて

現在の日本国家の成立は日本国憲法によって規定されている。つまり、主権者である日本国民が社会契約を締結し、成文としての憲法によって国家を規定し、これを設立して自らの主権を信託している。したがって、国家の具体的な業務を遂行する国家公務員は、国民の信託が成文化されたものである憲法を遵守する義務を負う。国家公務員の中でも政府の長である総理大臣は、その権限に比例して、とりわけ重い義務を負っているとみなすべきである。

その日本国憲法第9条には、対外侵略を含む国家の軍事行動の放棄が規定されている。また第20条には、国家の宗教的活動からの分離が規定されている。これら規定は、かつて日本国家が、靖国神社を筆頭とする宗教的主体と一体となって国民の内心に介入したこと、およびそれを具体的な駆動力として対外侵略を行ったことへの批判を踏まえ、そのような事態の再現を防ぐことを主な目的としている。また、上述した靖国神社の国家からの分離も、これらの規定に沿っている。

ここにおいて、日本国家の政府の長である総理大臣が、他ならぬ靖国神社に参拝することは、軍事行動の正当化を、宗教的主体との一体化を伴って行うものであり、憲法として成文化された国民の信託を明白に裏切るものである。