祝賀に水を差す、ということ: 「終わりにしよう天皇制 #反天WEEK 」連続行動

4月27日から5月1日にかけての「終わりにしよう天皇制!反天WEEK」連続行動のうち、うしろの4日間に参加しました。

4月28日 沖縄デー集会

天野恵一さんの講演「アキヒト天皇と沖縄」と質疑応答。

裕仁は「沖縄メッセージ」によって沖縄を米国に売り渡し、復帰後も死ぬまでこわくて沖縄に足を踏み入れられなかった。息子の明仁は、皇太子時代に沖縄をはじめて訪れた際、強烈な抗議運動に直面した。以降明仁にとって、皇太子の時期から天皇在位期を通じて、沖縄を慰撫し、国民共同体に統合することが主要課題のひとつであった。というのが主題。

戦後日本の左翼は長い間、象徴天皇制に真正面から対峙してこなかった。せいぜい、前近代の残滓である絶対主義天皇制のさらに残滓、くらいにとらえていた。奥崎謙三のような突発的な存在は、新旧の左翼の主流に対して特にひびくものではなかった。象徴天皇制がようやくまともに問題化されるのは、裕仁→明仁の代替わりが近づいてからだ。というのが副主題。

大和の人間であり、東京に住んでいる私は、沖縄に対して構造的に侵略者です。そうでありながら、東京にいて沖縄における天皇制を云々するというのは、非常に忸怩たるものがあります。講演者や聴衆からも同じような声が挙がりました。まずは、その忸怩たるものの中身を引き受けなきゃいけないのだろうと思います。

4月29日 反「昭和の日」立川デモ

立川には「昭和記念公園」、および園内に「昭和天皇記念館」があります。ということで、反「昭和の日」の主要舞台となるわけです。

交代制でトラメガを持ちました。「差別の象徴、天皇制反対!」みたいなコールがあったのですが、あまり好きじゃないな。天皇制自体が差別そのものなのだから、「象徴」は余計です。切っ先が鈍る気がします。

4月30日 退位で終わろう天皇制!新宿大アピール

退位式典に対抗。新宿駅東口のアルタ前広場を占拠してアピール。開始予定時刻の4時半ちょうどに着いたら、すでにアピールがはじまっていて、大騒動でした。

なんとか広場にねじ入ってからは、雨に降られながら駅側で横断幕をかかげていました。アルタ側で行われていたメインのアピールの様子は、人がごった返していたこともあってよく分からず。

真正面に陣取った右翼の口撃を1時間浴びつづけたのと、思いっきり突入の標的になっていたのもあって、なかなか精神に来ました。自分(たち)に対して「ぶち殺せ!」の声が浴びせられるのを平気で耐えられるほどには図太くできていません。あまりひどいときには「民族差別やめろ!」とか言い返していたのですが、それも怖いし、かと言って放っておける種類のものではないし、こういうのどうすればいいのか。

5月1日 新天皇いらない銀座デモ

即位式典に対抗して、新橋から銀座にかけてデモ。予想もしなかったすごい人数。500人くらい参加したようです。

ここでもトラメガ持ちました。雨でカンペがぐしゃぐしゃになってまともに読めないので、仕方なく簡単なのを拾ってコールしました。結果的に勢いがあってよかったのですが、気合が入りすぎてヘトヘトになりました。「世襲はおかしい!」は当たり前だけど本質的でよかった。

祝賀に水を差す、ということ

この一ヶ月間、日本で暮らす人は、代替わりについてほんとうに無関心でいることはできなかったのではないかと思います。ガチの天皇主義者が少数、なんとなく「祝賀ムード」に乗っかる人が大多数、無関心を装って忌避する人が少数、自覚的に抗議の声を上げる人はごくごく少数、といったところでしょうか。

「現実」の力関係からして、この数日間で天皇制をひっくり返す、などということはまともには考えられません。私たちにできることは、騒ぎを起こして嫌な気分にさせる、「祝賀ムード」に水を差す、くらいのことだったでしょう。

とはいえ、祝賀に水を差す、ということは、とりわけ象徴天皇制に対して本質的な対抗方法であり得る、とも思っています。象徴天皇制は「国民の総意」というフィクションに大いに依拠しており、こぞって歓迎、こぞって祝賀、という筋立てを常に必要としているからです。だからこそ、天皇制に対する異議申し立ては直接的な暴力による圧殺の標的になるわけです。

また、長期的に考えれば、私達が天皇制を廃止できる、ということについては楽観視しています。なんと言っても自由・平等の諸原則と根本的に矛盾するものであるし、制度設計から言っても、血筋を絶やさない、ということは無理なく実現できるようなものではないからです。人民が絶えることはないけど、王朝は終わったらそれで終わりだしね。

We shall overcome! 早いに越したことはないけれど。