梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(2016)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(2016)を読了しました。タイトルは「ヘイトスピーチ」ですが、中身は現代日本におけるレイシズム全般を扱っています。自分の中でモヤモヤしてた部分について、きわめて明瞭に整理の方向付けをしてくれています。

日本型ヘイトスピーチとは何か: 社会を破壊するレイシズムの登場

日本型ヘイトスピーチとは何か: 社会を破壊するレイシズムの登場

モヤモヤしてた部分とは、次の二点です。

  • a. 世界的な右傾化の中で、日本では、alt-right的な跳ねっ返りではなく、既存保守勢力がそのまま極右にスライドしている。差別扇動という点で典型的には石原慎太郎門閥→極右という点で典型的には安倍晋三。こりゃなんだ?
  • b. 「ヘイトスピーチの法規制」について。これは原理的に表現の自由と衝突するし、橋下「日本人に対するヘイトスピーチ」、あるいは石破「デモはテロ」やトランプ「fake news」のように、用語の簒奪によって、反動に利用される危険がないか。確立された法や規範の上で戦う方が良いのではないか。

a. 日本における極右化の特徴的様態について

まずはaについて。

丸山眞男「日本ファシズムの思想と運動」は、1930年代〜の日本において、独伊とことなって、お歴々による国家主義が草の根のファシズムを最終的に圧倒した、ということを指摘しています。現在の極右化の様態についても、同じように考えられるのだろうと思いつつ、それではあまりに大雑把だし、そもそも丸山の立論もあまり明確ではない。モヤモヤ。

本書は、日本においてレイシズム自体を規定・禁止する法がなく、また規範も確立していないこと、また植民地出身者の諸権利および国籍を剥奪した上で、「入国管理のための1952年体制がそのまま外国人政策を代用する」(p. 128) 構造が続いていることを指摘しています。

また関連して、戦争責任・植民地支配責任がまともに総括されなかったため、歴史否定を批判する規範も成立していない (pp. 271-274)。そもそも真相究明自体が不足している(pp. 301-302)。

つまり、体制自体に差別が根ざしているので、alt-rightが出るまでもない、というのが主たる指摘です(p. 267)。

b. 「ヘイトスピーチの法規制」の是非について。

ついでbについて。

aの議論を踏まえると、ヘイトスピーチについて「確立された法や規範の上で戦う」ことは無理筋か、少なくとも不充分だ、ということは納得できました。在日コリアンの反差別運動は、原則から差別的な制度の中で、限定的な権利獲得闘争にとどまることを強いられています (pp. 127-128)。

また、「ヘイトスピーチ」という概念自体が、米国の特殊な文脈から発しており、注意が必要であることも指摘しています。いわく、米国では公民権運動の中で、差別行為を規制する一方、言論は差別的なものであっても擁護する法・規範が形成されました。これは、反差別運動の側からすると、武器としての言論がつぶされることを懸念したためです。「ヘイトスピーチ」は、この米国に固有の二分法に対する異議申し立ての中で提出された概念です(pp. 215-218)。

このような状況では、ヘイトスピーチ規制以前に、そもそも「人種差別撤廃条約の理念にもとづいた反レイシズム法を作らせることが重要」 (p. 289)。

まとめ

以上、自分の従来の関心にもとづいてまとめましたが、本書は個別の暴力の事例から、戦後民主主義の構造まで、広範な射程を貫徹した構成で論じる、きわめて意欲的な本です。最後の章は、著者が代表を務める反レイシズム情報センター(ARIC)での経験を元に、具体的にレイシズムをなくしていくための実践についての試論でしめられています。ジャンルによらず、魂のこもった本に出会うことはまれですが、この本はまさにそれです。

正直言って、読んでいる間は暗澹とした気持ちにならざるを得ないのですが、すべての人にとって必読の本だと思います。