『サフラジェット(邦題: 未来を花束にして)』とこんにちの社会運動

下高井戸シネマで『サフラジェット』を見ました。劇映画としてもアジテーションとしても、抜群によくできた傑作でした。

サフラジェット (suffragette) とは、20世紀初頭のイギリス女性参政権獲得運動の活動家のことです。邦題は「未来を花束にして」ですが、ノリはむしろ「行動から未来を生み出そう!」に近い。プロローグでは“civil disobedience”(市民的不服従)の語が使われていますが、主人公たちの行動は投石や爆弾闘争を含む先鋭的なものです。

大筋は、洗濯工場ではたらく主人公が、街頭でサフラジェットの直接行動にでくわしたこと、議会公聴会で急遽証言を任されて、自身の状況を社会的関係の中に位置づける視野を得たことなどを端緒に、運動の闘士として自己形成していく、というものです。描かれる要素は、経済的・性的な搾取、夫や子供との関係、既存の体制に対する闘争は当然に「違法」行為をともなうこと (“we want to make laws”) 、運動内部の対立と抑圧、弾圧によるダメージなどなどてんこもりですが、これらを見事に劇として統合しています。結果として、社会運動へのきわめて効果的なアジテーションとなっています。

注目するべき点として、感情の移り変わりが生理的なレベルで緻密に描かれており、主人公たちの置かれた状況をリアルで切迫したものに感じさせる効果をもたらしています。とりわけ中盤の人を傷つけるシーンで、その場では興奮と恐怖に衝き動かされて行動して、あとから茫然自失状態に陥るところ。中々こうは描けない。

一方で、いくつもの重要な問いが、作中では本質的に解決されないまま残されています。主には、運動を担当する公安警部が、主人公を動揺させるために投げかける問いです。

  • 非暴力直接行動と暴力行使の境界は曖昧である。彼女たちの爆弾は、ひとりの女性をすんでのところで殺傷するところだった。
  • 中産階級の指導者が(名声|悪名)をとどろかせる一方で、主人公たち労働者階級の活動家たちは無名のまますりつぶされる、かもしれない。
  • 運動は自身や家族の生活をかき回し、台無しにするかもしれない。ましてや女性運動は、職場や家庭など生活の場と無関係でないばかりか、そこに構造化されている政治的関係自体を掛け金としている。

主人公は信念をもって動揺を克服するのですが、また運動自体が大体において成功することで問いが乗り越えられるのですが、問い自体が閉じられたわけではない。こんにちの社会運動にとっても、これらは重要な課題です。